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前回)からの続きです。
ムーバスの停留所「北町こども広場」は、
「JR東日本吉祥寺北町社宅」という大団地の一角にあります。
幾つかの区画ごとに複数の中層住宅が建っていて、
総棟数は両手でも数え切れないぐらい。
上の写真の門標には、正確な団地名が記されていますが、
この南側の区画には、次のような案内板が残っていました。
初めの二文字「国鉄」は私が勝手に復元したものです。
不自然に二文字分の空白があったので、推測で入れてみました。
多分40年くらい前の看板を使い続けているのだと思います。
バス停を挟んでJR社宅の向かい側には、比較的新しい建物がありました。
その建物のJR社宅側の外観(西側)は次のようになっています。
南側から見るとこうです。
看板に「吉祥寺ホーム」と書いてあるように、養護老人ホームです。
ここは、私が北町に住んでいた頃は国鉄の「吉祥寺テニスクラブ」でした。
(どういう運営形態だったのか、国鉄との関係は不明)
この周辺の昔の様子を、国土地理院の空撮で確認してみましょう。
私が吉祥寺北町に越してくる前年の1975年の空撮では次の通りです。
第四小学校と国鉄アパートの間に低層の社宅群がありますね。
これが四年後の1979年には次のように変貌しました。
これを見ると、一帯の国鉄アパート建設に合わせて
低層社宅群が撤去されて吉祥寺テニスクラブになり、
また、武蔵野市によりコミセンや保育園が整備されたことが分かります。
さて、テニスクラブ周辺の様子に、なぜ私がこだわっているかというと、
実は一枚の昔の写真の撮影場所を探していたからです。
そして様々な角度から調査検討した結果、
上の航空写真で「カメラ」と書いた位置が、その写真の撮影場所であろう、
との結論に至りました。
その昔の写真を、現在の風景と次のように合成してみました。
これは「
北町保育園への道2」でも取り上げた、
「自転車に乗る女房」シリーズの一枚です。
1977年8月の撮影です。
撮影場所について、確実な根拠はありません。
でも傍証?は少しばかりあります。例えば、
・黒のフェンスの形状が、当時国鉄アパートで使われたものと同じ。
・カイヅカイブキの列植の隙間から見える建物がクラブハウスっぽい?
・昔も今も、自転車の練習をするのに良さそうな道路である。
・その後、女房はこの自転車に乗り、このテニスクラブに通ったこともある。
テニスクラブが実施していたスクールに通っていたのですね。
ところが、翌年には長女が生まれ、テニスどころではなくなりました。
だから一年間も通わなかったかもしれません。
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