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前回)からの続きです。
武蔵野市立「北町保育園」に到着する直前の女房と長女です。
1981年の7月26日、8mmフィルムで撮影したものです。
当時の記憶を再現するために、先日、保育園へ向かって歩いていると、
すぐ手前の角に「北町コミュニティセンター」がありました。
「そうだ!これがあったんだ」と昔の記憶が一部よみがえりました。
35年前と同じ姿で、この北町コミセンは残っていたんですね。
そして、この建物の右隣が、動画にも写っている保育園の入口でした。
だから、お弁当を抱えた長女がピョコピョコ歩いていた道は、
この写真右手の道路のはずです。
コミセン角から撮影すると、現在は次のような様子です。
ところが、ピョコピョコ部分を動画から切り出して、
この画像と、さっきの現在の写真とを比較すると、明らかに違う道でした。
それで、もう少し慎重に昔の画像を観察しました。
更に、自宅アパートと保育園を結ぶ通園ルートを想定し、再検討の結果、
コミセンに至る前の「JRアパート」西側の道が正解であろうとの結論を得ました。
後日、再度現地を訪れて撮影したのがこの写真です。
左側に見えているのがJRアパート群です。
今度は間違いありません。
道幅、影の落ちる方向、道路脇の広めの排水溝、柵の内側の緑地帯、
また、突き当りがT字路である事など、
昔の風景に特徴的だったものが、今もしっかり残っていますね。
この時に想定した通園ルートを、せっかくですので、
国土地理院の空撮に白点線で落とし込んでみました。
ほぼ碁盤目状の街区のため、ルートの想定は何通りか可能です。
でも、実際に歩いてみると、道幅や車の交通量、道の雰囲気などから、
「この道が、歩いたり、自転車で通るのに気持ちよい!」
という記憶(感覚)がよみがえり、通園ルートは一義的に決まりました。
さて、今回は空振りに終わったコミセンと保育園の北側の道の写真、
実は別の昔の写真の撮影場所を教えてくれました。
それは、次の写真、女房が自転車に乗っている写真です。
道路右手の植栽(これもJRアパート)の様子が随分と様変わりしていますが、
コンクリート擁壁とその上の斜面緑地、という構成は完全に残っていますね。
「この撮影場所はどこだったかな?」としばらく前から思案していたのです。
ちなみに、これは1977年8月の写真です。
という事は私が目白から吉祥寺に引っ越した翌年です。
目白では必要性がなく、かつ置き場所もなかったので持てなかった自転車、
吉祥寺では役に立ちそうかなと思って買ったのでした。
井の頭公園入口近くの自転車屋さんで4万円程度だったと記憶しています。
外部10段変速機つきの、ブリジストンの高級自転車でしたよ。
ところが、実は女房は自転車が苦手でした。
彼女に言わせると「東京育ちのお嬢様は練習する機会がない」のだそうです。
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