子育ての記憶を辿るムーバス
2016-12-01


どこの家にもある、子供の写真。
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我が家では、驚異的な?私の整理探求能力のおかげで、
その多くについて、撮影時期と場所とが特定できています。
そして、その識別が何によっているかというと、
その写真が収められていた袋の書き込みとか、
写真自体への裏書きメモなどが主です。
あとは、子供の成長度合いや着ている服で、
年代が推測できたりしますね。

でも、場所については、曖昧なこともあります。
改めて眺めてみて、これはどこかな?と疑問に思う事はしばしばです。
そんな私が、昔の吉祥寺の場所の記憶を辿るために、
吉祥寺の「ムーバス」に乗ってみました。
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地方自治体によるコミュニティーバスの先駆けとして有名なこのバス、
私自身はこれまで乗ったことがありませんでした。
ムーバスが運行開始した1995年には、既に吉祥寺を離れていましたから。
また、吉祥寺に住んでいた時代にムーバスが導入されていたとしても、
2〓300mごとに停車するバスではかったるくて、
まだ若い頃の私はまず乗らなかったはずです。

今回ムーバスに乗ってみようと思った理由は、
バス自体に思い入れがあったからではなく、
その運行系統図にあります。
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このムーバス2号路線「吉祥寺北西循環」に驚き!

子供達が通った、
・北町保育園
・武蔵野赤十字保育園
・第一小学校
などが沿線至近距離にありますし、
停留所名の
・北町こども広場
・青葉公園
・かくれみの公園
などについては、その名称が頭の隅に残っています。
多分、日常的にお世話になった遊び場所だったと思います。
また、
・大正通り
の名称も懐かしい。女房の実家はこの近くでした。
車の運転が好きだった義母が、ある時期ついに車を手放し、
それからは自家用車代わりのムーバスに乗って駅へ向かった道は、
多分この通りだったはずです。
(2号路線が運行開始したのが1998年だそうなので、
 義母は晩年の3年間ほど、この路線を利用したことになります)

さて、吉祥寺北町の住宅街を器用に走り抜けたバスが、
JR団地の脇に差し掛かったところで私は下車しました。
「北町コミュニティセンター前」です。
その場所から、バスの進行方向を眺めたのが次の写真です。
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左手は「JR東日本吉祥寺北町社宅」、昔は国鉄アパート。
右手は「吉祥寺ホーム(老人ホーム)」、昔は国鉄の吉祥寺テニスクラブ。
そして、突き当りが「北町こども広場」です。

「北コミセン前」の次のバス停が「北町こども広場」です。
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次の二枚の写真はこのバス停で撮ったものです。
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女性がバス停に到着するのに合わせたかのようにムーバスがやってきました。
きっと彼女の頭の中には、時刻表がしっかりインプットされているので、

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[吉祥寺の風景 今昔]

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