五十年前の毛越寺
2018-11-02


前回「中学の修学旅行で毛越寺」)の続きです。

五十数年ぶりに毛越寺を再訪しました。
しかも、今回は紅葉の季節に女房同伴!
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中学生の頃に比べると、私も一人前になったものです。
早速、浄土庭園の大泉が池で「出島石組と池中立石」の写真を撮りました。
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この中央の「立石」については、
東日本大震災の影響で約8度傾きましたが、修復によって震災前に戻りました。
と、看板に説明書きがありました。

もちろん私も後日、帰宅してから昔の写真と比較してみましたよ。
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「あれ!、何か昔の方が、ちょっと勢いがある感じだな?」と思い、
仔細に検討してみると、池中立石は更に垂直に近く、
かつ手前の出島の石組みのうち矢印の2本が、
空に向かって突き刺すような感じで立っています。
ということは、私の中学生時代から震災前までの四十数年の間に、
これらの石達は、自重で少しずつ倒れちゃったわけです。
その変化が少しずつだったため、
私以外の誰にも(本当か?)気付かれなかったのでしょうね。

次は芭蕉翁句碑「夏草や兵どもが夢の跡」の写真です。
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これも、昔の写真で中央にある木製の句碑は無くなっていました。
まあ、朽ち果てて処分されたのかな。

さて、平泉では、観光用巡回バス「るんるん」に乗りました。
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この図で滑らかに、ぐる〓、と回っているのがバスルート、
そこから逸れてギザギザに引かれている線が歩行ルートです。
何時何分に私がどこにいたかは、GPSで完全に記録されています。
この図の赤線で四角く囲われた部分が次の目的地「中尊寺」です。
そして、中尊寺到着。
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ここでは次の石碑とお地蔵さんの姿を確認しました。
もちろん、モノクロが50年前、カラーが現在です。
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「あれ!、お地蔵さんの前にあった灯篭が消えている」と思ったら、
石碑の後ろに隠れていました。
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中尊寺に至るには、参道(月見坂)を登っていきます。
ちなみに、50年前の次の写真は、線路や北上川との位置関係から、
この月見坂近辺の高台にて撮影したものと推測していました。
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果たして、月見坂の途中、弁慶堂前に「東望古台」があり、
更にその先を右手の脇道にそれると、

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[昔と今の写真(番外)]
[カメラには名前あり]
[旅のつれづれ]

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