1999年以来の長崎への旅。
女房にとっては始めての長崎なので、定番の観光地も廻ることになりました。
スタートは「大浦天主堂」
15年前の天主堂の様子はこうでした。
次の写真は今回撮影のもの。
天主堂は変わりませんが、階段踊場右に「祝信徒発見150周年」の看板があります。
今年2015年は、この天主堂にとって、記念すべき年なのですね。
天主堂前には、今から50年前に造られた「信徒発見100周年の記念碑」がありました。
この記念碑の解説文には、
この天主堂が建立された1865年に、隠れキリシタン十数名が教会を訪れて、
『私達もあなた様と同じ心のものでございます。サンタ・マリヤの御像はどこ』と言ったこと、
また、彼等は300年に亘る厳しい迫害を堪え忍び、カトリックの信仰をひそかに守り伝えてきた人々であること、
が記されています。
300年と言えば世代にして約十世代です。
そんなに長い間、迫害を受けながら守り通した信仰って凄いとしか言いようがないです。
この天主堂の隣にはグラバー園の高台があり、
その高台に昇るためのエスカレータから天主堂を見下ろすことができます。
瓦屋根や尖塔の形が美しいでしょう?
15年前は次の写真のようでした。
偶然ながらほとんど同じ視点からの撮影です。
天主堂だけでなく、遠くに見える山並みまで、
時を経ても同様の風景であることに何故か感動します。
さて、この天主堂、正式には「日本二十六聖殉教者天主堂」と呼ばれ、
26人の殉教者に捧げられたものなんだそうです。
そのため天主堂正面は、その26人が処刑された場所「西坂の丘」を向いています。
上の写真で、左方向(北方向)のずーっと先、長崎駅の近くにその丘があります。
今回の旅行は時間に余裕があったので、その「西坂の丘」にも行って見ました。
この写真が、この地で処刑され、その後、聖人に列せられた26人の記念碑です。
殉教のエピソードを簡単にひも解くと、
1597年に京都で捕らえられた彼らは、耳を削がれた上に長崎まで連れられ(しかも徒歩で)、この西坂の丘で処刑されたそうです。
記念碑に刻まれているのは彼等が昇天する姿です。
また、この26人の中には「ルドビコ茨木」という少年もいました。
彼は信仰と引き換えの助命申し出を断り、
12才の若さながら毅然として磔刑に処されたそうです。
「ルドビコ茨木」の像は「浦上天主堂」にもありました。
「浦上天主堂」は長崎駅から更に北方の爆心地近くにあります。
原爆により、かつて存在した旧天主堂は、はぼ完全に破壊されました。
マリア像は瓦礫の中から頭部だけ発見されましたが、次の写真のように
空ろな目は深い悲しみをたたえています。
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