よみか〓える彩雲荘の思い出(2)
2014-12-24


前回)からの続きです。

40年前のアパートの隣人から頂戴した昔の写真三枚、
最後の一枚は、雪の日の目白の写真でした。素晴らしい写真です。
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すっかり雪に覆われたこの屋根も、私が決して忘れることのない風景です。
なぜなら、私も同じ屋根を何年も見続けて、撮影もしているのです。
それらは「目白と柳原白蓮邸の屋根にさよならする日」に載せました。
私は、目白から吉祥寺へ引っ越すことになった時、
目白の自室の窓から見た風景を、フィルムにもとどめておきたくなりました。
隣室の弟さんが撮影したこの雪の日の屋根の写真も、
同じ意味合いだったのではないでしょうか?
「毎日ボクの目を楽しませてくれた景色よ、ありがとう」ってね。

窓の話で思い出したエピソードがあります。
隣室のお姉さんと洗濯物の事件です。
40年前のある晴れた日の昼下がり、いつも元気で素敵なお姉さんが、
「ごめんなさーい。洗濯物を取らして下さーい」
と言いながら我家へ転がり込んで?来ました。

ベランダの内側に低く洗濯物を干す現代と違って、
昔は次のように窓手摺の外側に高く干すのが普通でした。
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お隣さんも勿論そうしていたんです。
だいたいアパートにベランダなんて付いて無かったし。
でも、ちょっとお茶目な隣室のお姉さん、
どうも洗濯バサミの奥まできちんと挟まなかったらしく(多分)
すり抜けて落ちた洗濯物の一つが、風に流され、真下ではなく斜めに、
つまり我家の真下の部屋の窓庇に着床したんです。
それで、お姉さんは「自室の窓からは手が届かなくても隣からなら届くかも」
と思って我家に駆け込んでいらしたのです。

そして、二人で協力し、手摺の隙間から手を伸ばしながら、
長めのお惣菜箸を使って、ついに救出成功!
彼女は、その間ずっとコロコロ笑っていました。
何が起きても楽しい時代だったんですね。

もしも私達が今お会いすることがあれば、お姉さんは
私の顔を見るなり「お互い年をとったわねー」とか言って、
やはりコロコロ笑うような気がしました。
でも、つい先日、弟さんからいただいたメールによると、
もう彼女は年をとらないんですって。ショックです。
[目白の風景 今昔]

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