日光東照宮陽明門で111年前の祖父に会う
2017-03-11


陽明門の大修理が済んで、昨日から一般公開されたそうです。
東京新聞の夕刊に載っていました。
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実は、つい10日ほど前、昔の写真の束からこんなものを見つけました。
日光「東照宮陽明門」の前で畏まる祖父(写真右側の人物)の写真です。
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私は最近まで実の祖父母4人の顔を知りませんでした。
ところが、幸いな事に、母の遺品の写真を整理するなかで、
二人の祖母の写真と思われるものは見つけました。
それでも、二人の祖父については相変わらず不明でした。

それが半月ほど前に、実家の家財道具等を処分していた姉から、
「また、写真があったよ」と、三袋分ほどの写真を託され、
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その中に、この陽明門の一枚がありました。
場所と人物が判明したのは、写真の裏に次の説明文があったからです。
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これを読むと明治39年に、祖父(狷造)は奉幣使の随行員として、
日光二荒山神社の例祭(今でもやっている)に参列し、
ついでに東照宮にも立ち寄ったのですね。
今から111年前、西暦1906年のことです。
祖父は、今で言う所の県の役人だった事になります。
それも初めて知りました。

祖父の顔と名前が、ようやく結びつきました。
せっかくですので、この写真を往時の姿に蘇らせるべく、
Photoshopで色々手を加えてみました。
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こうして、人物の顔も鮮明になってくると、
私の祖父は、なかなか凛々しい顔立ちであるように見えます。
その遺伝子は、ちゃんと伝わっているのかな?

ちなみに日光東照宮は実家と同じ県内ということもあり、
何回も訪れたことがあります。
東京で暮らすようになってからも、
「鳴き龍」のレポートを夏休みの宿題とした次女のために、
わざわざ東照宮まで連れて行ったこともありました。
その時の写真もありますね。
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奇しくも、最初の記事写真と同じアングルからの撮影ですが、
こちらはデート表示の通り、1995年8月11日のものです。
まさに夏休み真っ最中。
そして、その日の東照宮で撮った次のような写真もありました。
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「見ざる、聞かざる、言わざる」の「三猿の彫刻」の前で、
「見ざる」のポーズをとっている私です。

陽明門の前で衣冠束帯にて畏まる祖父に対して、
綿パンTシャツ姿で猿の真似をしている私って、
いくら時代が違うとはいえ、大いに疑問ありですね。
[母のアルバム]

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