陽明門の大修理が済んで、昨日から一般公開されたそうです。
東京新聞の夕刊に載っていました。
実は、つい10日ほど前、昔の写真の束からこんなものを見つけました。
日光「東照宮陽明門」の前で畏まる祖父(写真右側の人物)の写真です。
私は最近まで実の祖父母4人の顔を知りませんでした。
ところが、幸いな事に、母の遺品の写真を整理するなかで、
二人の
祖母の写真と思われるものは見つけました。
それでも、二人の祖父については相変わらず不明でした。
それが半月ほど前に、実家の家財道具等を処分していた姉から、
「また、写真があったよ」と、三袋分ほどの写真を託され、
その中に、この陽明門の一枚がありました。
場所と人物が判明したのは、写真の裏に次の説明文があったからです。
これを読むと明治39年に、祖父(狷造)は奉幣使の随行員として、
日光二荒山神社の例祭(今でもやっている)に参列し、
ついでに東照宮にも立ち寄ったのですね。
今から111年前、西暦1906年のことです。
祖父は、今で言う所の県の役人だった事になります。
それも初めて知りました。
祖父の顔と名前が、ようやく結びつきました。
せっかくですので、この写真を往時の姿に蘇らせるべく、
Photoshopで色々手を加えてみました。
こうして、人物の顔も鮮明になってくると、
私の祖父は、なかなか凛々しい顔立ちであるように見えます。
その遺伝子は、ちゃんと伝わっているのかな?
ちなみに日光東照宮は実家と同じ県内ということもあり、
何回も訪れたことがあります。
東京で暮らすようになってからも、
「鳴き龍」のレポートを夏休みの宿題とした次女のために、
わざわざ東照宮まで連れて行ったこともありました。
その時の写真もありますね。
奇しくも、最初の記事写真と同じアングルからの撮影ですが、
こちらはデート表示の通り、1995年8月11日のものです。
まさに夏休み真っ最中。
そして、その日の東照宮で撮った次のような写真もありました。
「見ざる、聞かざる、言わざる」の「三猿の彫刻」の前で、
「見ざる」のポーズをとっている私です。
陽明門の前で衣冠束帯にて畏まる祖父に対して、
綿パンTシャツ姿で猿の真似をしている私って、
いくら時代が違うとはいえ、大いに疑問ありですね。
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