4年ほど前に「
目白(上り屋敷)の入口」
というタイトルで、上り屋敷の路地を取り上げたことがあります。
40年前に撮影した一枚の路地の写真について、その撮影場所を特定する遊びです。
この時は、確定的な判断材料をついに発見できず、
「まあこの辺かな」と一応それらしい場所で自分自身を納得させたのでした。
この写真で左が昔の写真、右が現在の写真(と私が推測したもの)です。
航空写真にプロットすると、次の[3]の位置です。
そんな記事に関して、先日、当ブログにご訪問いただいた”ぐら”さんから、
貴重なコメントをいただきました。
ぐらさんは目白で生まれて、
人生の一時期を除いてずーっと目白で暮らしているそうです。
彼?によれば、
『[3]の写真の左側の2軒の住宅は、昭和30年代から平成ヒトケタ台あたりまで小児科・内科医院でした(私と息子が二代に渡って、乳児〜小学生時代にお世話になってました)』
なんだそうです。
それで私も当時の住宅地図で確認すると、
確かに「半田医院」と記載されています。
そうなると話が違ってきます。
昔のモノクロ写真に写っている家屋は、閉鎖的な塀と門から判断して、
明らかに専用住宅です。
医院であればもう少しオープンな造りになっているはずですよね。
そして、4年前に撮影場所を特定したつもりになっていた時も、
「でも、昔と今では電柱の位置が変わりすぎているな」
と若干の疑念を抱いていたことも思い出しました。
また、ぐらさんから
『で、この記事の74年のモノクロ写真ですが、自由学園明日館の東側搬入口のクランクから東を向いて撮影されたものじゃないかと思います。』
とのコメントもいただきました。
「むむ!これは再審開始決定だな」と考えた私は、
再度、昔のフィルムを高解像度でスキャニングして仔細に眺めてみました。
消火器の右側に縦長の黒い影があります。
「引越梱包専門...」とか「現金デスグ...電話ノコトナラ」とか書いてあるチラシが貼ってありますから、これは電柱ですね。
そして道路面に残る雪に描かれた轍が右手前にカーブしていることから、
この電柱と消火器の右側に道路が伸びていることがわかります。
T字路のようです。
そして、ぐらさんが教えてくださった場所を当時の住宅地図に落とし込みました。次の[4]です。
何と条件にぴったり合致するではありませんか。
しかも、もう一つ、重要な状況証拠がありました。
昔の写真に写っている「石塀の上の二枚の小屋根」です。
この二枚の小屋根は同じ意匠で造られているようなので、
何か御関係のある二軒なのかな、と推測していたのですが、
住宅地図を見ると、ちょうど二軒「KM邸(仮)」の記載があったのです。
また、写りの良い別の航空写真を拡大してみると、
該当する位置に小屋根と思われる白い点が二箇所確認できました。
今度こそ正解かな。
この場所の現在の様子を、昔の写真と並べてみました。
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