昭和のモノクロ井の頭公園5
2014-12-06


前回)からの続きです。

吉祥寺駅から井の頭公園に向かうには、南口を出て丸井の脇を通り、
吉祥寺南町1丁目の住宅街を抜けるのがお薦めです。
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すると、こんな感じに、道路の突き当たりに突然公園が現れます。
正門とか裏門の類いが無いのですね。
そこに至るエリアは、昔も今も、通過交通とかあまり無く閑静な住宅街です。

その吉祥寺南町1丁目付近で、70年代後半に撮影したスナップが数枚あります。
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この撮影場所が分かるかな〓、と思いながら
先日ぶらついたのですが、やはり簡単には見つかりませんでした。
いつか又、吉祥寺に暮らすことがあれば、
その時にじっくり探索しようと思います。

でも次の写真に写っている公園入口は、それなりの特徴があるので、
場所の特定は容易なはずです。
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やや狭めの急な勾配の道路は、築造時に切り開かれたためか、
両サイドの敷地より少し低くなっています。
道路左側の崩れ掛かった擁壁は、明日にでも崩れ落ちそう、と思えました。

こういう昔の写真を手にしながら、
その特徴を受け継ぐ現在の風景を探索するのはとても楽しいです。
そして見つけました。次の写真が現況です。
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境界杭の右側が50cmほど拡幅されているようです。
だから、昔の写真では道路中心にあったマンホールが、
今の写真では中心から外れているように見えますね。
それと、勾配の途中に排水溝のグレーチングが追加設置されています。

でも何といっても驚いたのは、道路左側の擁壁です。
「明日にも崩れ落ちる」どころか、37年経過した今でも昔の姿のママです。
壁の亀裂とか傾き具合とか笑っちゃうぐらい同じでしょう?
これでは「死の床」に駆けつけたはずの親族も、
最期を待って何日も泊まり込む事になりそうです。

ところで、この擁壁をもつ敷地って何でしょうか?
ネットフェンス越しに「鎌田公園」と看板が見えました。
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そして、ここはバーベキューなどができる特殊な公園らしいです。
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ちょっと興味が湧いたので調べてみました。
私の調査と推測を要約すると次のようになります。
当時ここには、宗教法人「釈迦牟尼会」の道場がありました。
その道場が1985年頃に発展的に移転したあと、
敷地所有者であり釈迦牟尼会にも関係の深い鎌田さんが、
跡地の活用を武蔵野市へ委託した、という経緯のようです。
それにしても、
井の頭「公園」と地続きの鎌田「公園」って何か可笑しいです。

次に、昔の写真で、鎌田公園の向かい側の敷地は何だったのでしょう。
黒格子の目隠しパネルが特徴的なブロック塀の内側には、
結構な高木が何本も見えます。
こちらは個人の敷地内の広葉樹林だったのでしょう。

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[吉祥寺の風景 今昔]

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