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前回)からの続きです。
吉祥寺駅から井の頭公園に向かうには、南口を出て丸井の脇を通り、
吉祥寺南町1丁目の住宅街を抜けるのがお薦めです。
すると、こんな感じに、道路の突き当たりに突然公園が現れます。
正門とか裏門の類いが無いのですね。
そこに至るエリアは、昔も今も、通過交通とかあまり無く閑静な住宅街です。
その吉祥寺南町1丁目付近で、70年代後半に撮影したスナップが数枚あります。
この撮影場所が分かるかな〓、と思いながら
先日ぶらついたのですが、やはり簡単には見つかりませんでした。
いつか又、吉祥寺に暮らすことがあれば、
その時にじっくり探索しようと思います。
でも次の写真に写っている公園入口は、それなりの特徴があるので、
場所の特定は容易なはずです。
やや狭めの急な勾配の道路は、築造時に切り開かれたためか、
両サイドの敷地より少し低くなっています。
道路左側の崩れ掛かった擁壁は、明日にでも崩れ落ちそう、と思えました。
こういう昔の写真を手にしながら、
その特徴を受け継ぐ現在の風景を探索するのはとても楽しいです。
そして見つけました。次の写真が現況です。
境界杭の右側が50cmほど拡幅されているようです。
だから、昔の写真では道路中心にあったマンホールが、
今の写真では中心から外れているように見えますね。
それと、勾配の途中に排水溝のグレーチングが追加設置されています。
でも何といっても驚いたのは、道路左側の擁壁です。
「明日にも崩れ落ちる」どころか、37年経過した今でも昔の姿のママです。
壁の亀裂とか傾き具合とか笑っちゃうぐらい同じでしょう?
これでは「死の床」に駆けつけたはずの親族も、
最期を待って何日も泊まり込む事になりそうです。
ところで、この擁壁をもつ敷地って何でしょうか?
ネットフェンス越しに「鎌田公園」と看板が見えました。
そして、ここはバーベキューなどができる特殊な公園らしいです。
ちょっと興味が湧いたので調べてみました。
私の調査と推測を要約すると次のようになります。
当時ここには、宗教法人「釈迦牟尼会」の道場がありました。
その道場が1985年頃に発展的に移転したあと、
敷地所有者であり釈迦牟尼会にも関係の深い鎌田さんが、
跡地の活用を武蔵野市へ委託した、という経緯のようです。
それにしても、
井の頭「公園」と地続きの鎌田「公園」って何か可笑しいです。
次に、昔の写真で、鎌田公園の向かい側の敷地は何だったのでしょう。
黒格子の目隠しパネルが特徴的なブロック塀の内側には、
結構な高木が何本も見えます。
こちらは個人の敷地内の広葉樹林だったのでしょう。
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