平城宮跡に何も無かった頃
2014-05-07


前回)からの続きです。

今回の奈良旅行では、京都・奈良間の交通には
行きはJR線(たまたま、乗換NAVIで早・安・楽だった)
帰りは近鉄線(普通はこちらが便利)
を利用しました。

近鉄線に乗ると、大和西大寺駅の手前で平城宮跡を通過します。
かつての平城京の中核部分で、約1km四方の平地です。
この遺跡も、以前は、打捨てられた農地のように見えました。
現在は、復元された建物が電車の窓から見えます。

これが平城宮の正門である「朱雀門」。1998年に復元されました。
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次の写真で、遠くに写っているのが2010年に復元された「第一次太極殿」です。
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朱雀門の真北約800mに位置します。

いずれの写真でも、電車から建物までの空地は、伸び放題の草叢です。
この荒涼とした感じが、実に私好みの風景です。
遺跡って、先人の文化を学ぶ所であると同時に、
「栄える者も必ず滅ぶ」という歴史の非情さを教えてくれる場所でもあると思います。

次の写真は、41年前のこの場所の風景です。
二枚の写真を繋いだので、かなり横長になりました。
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もちろん朱雀門も太極殿もありません。
今となっては、どこからどの方角を撮った写真か、判別する事も不可能です。

そして次の写真は、この荒涼とした風景を私と一緒に見ていた人達です。
禺画像]
ここは、遺構の発掘調査が済んだ後に、また盛り土をして遺構を覆った所でしょうね。
その盛り土の斜面の雑草の上に腰掛けて、皆、微笑んでいます。
およそ、歴史の非情さなど私達には関係ない、という顔です。
この後、41年の人生を生きて、今では彼らも歴史の真実を少しは実感したでしょうか?

(終り)
[昔と今の写真(番外)]
[旅のつれづれ]

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