鬼子母神境内 この建物は?
2014-01-04


前回)からの続きです

昔の写真を改めて観察すると、
「あれ〓、こうだったかな?」と思う事がありますよね。
例えば次の写真です。
禺画像]

ツインテール(って言うのか?)のそっくりな女の子が二人写っているでしょう。
「あれ、はるみちゃんって双子だったかな?」と疑問になりますよね。
まあ、種を明かすと、これは単に合成写真だから不思議ではないです。
左半分と右半分の写真を張り合せたのです。
それではなく、今日の本題は、
手前のはるみちゃんの上に少し覗いている瓦屋根です。
万代塀に囲われた駄菓子屋と遠方のお堂の間に、
瓦屋根の建物があるように見えます。

境内入口からの写真も見てみます。
禺画像]
左側の仁王像の奥に駄菓子屋のトタン屋根、更にその奥に瓦屋根が見えています。

この駄菓子屋さんの裏手が現在どうなっているかを、
参道側から確認するとこうです。
禺画像]
何の建物もありません。鬼子母神公式HPの配置図でも何もありません。

1975年当時は何が建っていたのだろう、と思い文献をあたると、
三吉朋十著「雑司ヶ谷鬼子母神」(1978年)の参考写真に
こんな瓦屋根の建物がありました。
禺画像]
写真左の万代塀、建物手前の二本の石灯籠から判断して、
さっきの写真と同じ方角から撮ったものです。
そして、著者の手書きで「石灯篭、不動前」と書いてあります。
これは「法不動堂」の昔の姿かもしれない、と推察しました。

現在の法不動堂はこうです。
禺画像]
屋根の材料と形状については、参考写真の建物が瓦葺きの寄せ棟であるのに対して、現在の法不動堂は銅板葺きの入母屋です。
でも、これは本堂の改修(瓦から銅板へ)に併せて行われた
と考えれば納得がいきます。
それに、
お堂前面に張られた「白地に紋入りの幔幕」が同じものと見受けられます。
(ちなみに、紋の形状は
 鬼子母神ゆかりのザクロを輪切りにしたように見えますね)

これらから私は、「法不動堂」が
境内中央部から南側の敷地境界近くへ移されたのだろうと考えました。
この推論を確実にするために、
現在の法不動堂が建っている場所の40年前の様子を確認しました。
そこが空地であれば、推論の正しさがほぼ証明されます。

上の写真で、
お堂の右横にカヤと「一字一石妙経塔」が写っています。
拡大するとこうです。
禺画像]
このセットに注目します。
昔の写真をつぶさに調べました。
禺画像]
狛犬の左奥に「一字一石妙経塔」が辛うじて確認できます。
その左にカヤがあり、
更にその左の、現在のお堂の場所は空地だったことが分かります。

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[目白の風景 今昔]

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