40年前の根津美術館の風景4
2013-11-22


前回)からの続きです。

庭園の散策を終え、美術館本館に戻りました。
庭園側から見る本館の表情は次のようなものです。(写真1)
禺画像]
園路→前面芝生→ガラス→本館ロビー、と空間の繋がりを重視したしつらえです。
オシャレですね。

40年前は違いましたよ。(写真2)
禺画像]
外界から閉ざされた収蔵庫の中で美術品を鑑賞する、という感じでしょうか。
主役が「美術品」か「来館者」かの違いとも言えます。
それはともかく、
この写真で建物前に立っている金属製の灯籠、凄い迫力でしょう?
これは「金銅八角燈籠(こんどうはっかくとうろう)」といい、
次のような説明文がありました。
『天平勝宝4年(752)、東大寺大仏の開眼供養が挙行された。
大仏殿の正面には八角の燈籠が置かれた。この燈籠はそのレプリカ。』

そういえば東大寺にありましたね。
この美術館訪問の一年前1973年に東大寺へ行ったことを思い出しました。
その時に撮った写真に本物が写っているかも知れないと思い探してみました。
ありました。
写真って撮影者も気付かぬうちに、いろんなものを記録するんですね。
写真の下端中央あたりに写っています。
禺画像]
大仏殿をバックにすると、さすがに小さいです。
でも、見返しで中門へ向かって撮った下の写真では違います。
禺画像]
砂利敷の境内に屹立しているような感じです。
根津美術館のレプリカも、この本物の屹立している感じを受け継いでいました。

現在はどうなっているかと言えば、このようでした。(写真5)
禺画像]

喫茶室(NEZUCAFE)の前に移されて、周囲の景色に溶け込んでいました。
「ちょっと違うんじゃないか」と思いました。
何か、昔は偏屈だった男が、子供が生まれ孫ができ、
すっかり丸くなったような変貌ぶりです。
おまけに、隣のカエデに肩をさすってもらっているように見えます。

八角燈籠がおとなしくなった分、「前回」紹介した高架水槽が頑張っていました。
八角燈籠から左上に視線を移すと、
収蔵庫の屋根越しに、水槽が屹立している姿が見えました。(写真6)
禺画像]

ダダの芸術家マルセル・デュシャンは、男子用小便器に『泉』と言うタイトルを付けて展覧会に出品しようとした、という有名なエピソードがあります。
彼ならこの高架水槽を『泉No.2』と名付けるかも知れません。
実際、水を噴き出しますしね。

40年前の訪問の最後に記念撮影。玄関前です。(写真7)
禺画像]
右上の長円に注目。
八角燈籠だけでなく高架水槽も写真に加わっていた事に、今回はじめて気が付きました。
撮る気がなくても、勝手にいろいろ写ってしまうのが写真の特徴なんですね。

最後に写真番号ごとの撮影位置を下図に示します。
禺画像]
(この項終り)

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[昔と今の写真(番外)]

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