昔の「すかいらーく」と小金井公園
2016-08-12


前回)からの続きです。

保育園の遠足の目的地を確認するために久しぶりに訪れた小金井公園、
あらためてその広さを実感しました。そして、広いだけでなく、
樹木でセパレートされた「○○広場」がたくさんあることも驚きでした。
だから、次の昔の写真は、
1981年12月27日に撮影した同じ小金井公園のものなのですが、
公園のどこの「何々広場」なのかを特定するのは結構むずかしかったですよ。
禺画像]
この時は、私たち家族四人、車で公園に遊びに来ていました。
写真は、この頃に流行った「ゲイラカイト」で凧揚げをしているところですね。
凧糸を持って走るだけで上昇してくれる優れもののタコでしたが、
長女の脚ではさすがにスピードが足りず、
凧糸を持った長女を私が抱きかかえて走っているところです。

この撮影場所を35年ぶりに特定するために、公園中を歩き回った軌跡が次です。
禺画像]
トラックログを記録していたので、歩行経路が一目瞭然です。
そして見つけましたよ。
ヒントは次の写真の「松」です。
禺画像]
これと同じ形の松が、昔の写真の左端にもあるでしょう?
というわけで、判明した広場を、昔とほぼ同じ位置から撮影するとこうなります。
禺画像]

さて、いつもながら今回も、写真の記録性には感心しました。
先ほどの松の形態の他にも、
例えば次の木製遊具、この名称も分かってしまうんです。
これは「ぼくらのピラミッド」という名称でした。
禺画像]
それは右奥の説明板を拡大してみて分かりました。
禺画像]
更に次の写真を見て、
ここに写っている遊具がスウェーデン製であることも分かりました。
禺画像]
それは、やはり次のように拡大してみたからです。
禺画像]
右に私と長女、左に説明板が写っています。
その説明文にこうあります。
「ここの広場のわたし達(遊具)は、遠いスウェーデンの森から皆さんと遊ぶためにやってきました。わたし達の国では、ルールを守って楽しく遊んでもらっています...」

小金井公園のこども達はルールを守って遊んだと思いますが、
いかんせん木製の遊具は風雨にさらされて、
いつかは朽ち果てるのも自然界のルール。
先日訪れた時、これらの遊具は、実は一つも残っていませんでした。
だから、かつて木製の遊具が置いてあった場所は推測するしかありません。
わたしの推測した場所は次の写真のところです。
禺画像]
階段や滑り台があり、何となく昔を引き継いだ感じがあります。
かつての「ピラミッド」が「わんぱく山」に化けたんでしょうね。
禺画像]

続きを読む

[吉祥寺の風景 今昔]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット