東京を西へ向かう五日市街道、時々この道を車で走ることがあります。
そして吉祥寺付近を通ると、ここで過ごした1980年代を思い出します。
そして昔暮らしたマンションをチラッと眺めて、
「今ここに暮らすのは、30年前の自分と同じような人たちだろうな」
と世代の交替を実感して、若干の感傷に浸るのを楽しみにしていました。
次の写真がそのマンションです。
次の住まいに引っ越す数日前の撮影で、約30年前の姿です。
先月、武蔵野市の図書館に行く用事があり、吉祥寺駅からバスに乗りました。
バスは東急通りから五日市街道に入り、
少し走ったところでこのマンションが見えるはず、がありません。
あれ!見逃したかな、と思い、確かめるつもりで、
帰りは五日市街道をゆっくり歩いてみました。
やはり見当たらず、間違いなくここだ!、
と思う場所は「トヨタレンタカー」になっていました。
マンションの一階で酒屋をやっていた大家さんが、
店じまいと一緒にマンションも解体したのでしょうね。
築三十数年での解体は勿体無いです。
安普請?の建物だったとはいえ、使い勝手は良かったのです。
屋上では布団を干したり、夏にはビニールプールで遊んだりしました。
写真右端に「築地材木店」の看板が一部だけ写っています。
地上は酒屋の荷捌き場になっていましたので、
夜中にひも付きのテニスボールを打ったり、小さな運動場でした。
そこから自室の玄関を見上げるとこうです。
住戸内は、狭いながらもDKにはクリスマスツリーも飾れましたよ。
そして、五日市街道を挟んだ南側に、駐車場を借りていました。
これも見当たりませんでした。
「ここだったはず」と思う場所は、ライオンズマンションになっていました。
でも、その右側の「築地材木店」の看板は昔のままですね。
30年前のアルバムを探すと、駐車場の写真が残っていました。
正面にある三台の車のうち右側の「CIVIC」が私の車です。
昔乗っていた車って、妙に懐かしいですね。
でも、この砂利敷の地面を見ると、懐かしいというか苦い記憶が蘇ります。
大失敗の記憶です。
この頃、子供二人を「保育園」と「保育ママさん」へ預けていました。
毎朝、分担して保育園へは女房、
少し遠い保育ママさんの所へ車で連れて行くのは私の役目でした。
こんなベビーバスケットに入れた幼児を、
後部座席に置いて往復30分のドライブをしてたんです。
ある雨の朝、
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