これは、昭和7年2月29日に栃木県の宇都宮駅で撮影した写真です。
左側が母の長兄で、宇都宮の連隊に配属となっていた軍人さんです。
サーベルを下げて、見るからに立派な軍人さんでしょう?
母は、早くに父親を亡くし、十代半ばの頃、
母親も亡くなってしまいました。
そのため、女学校時代の母は、経済的にも精神的にも長兄を頼りにしていました。
母の遺したアルバムの中で、最も数多く登場するのがこの「兄さん」です。
上の写真の添書きには、日付と場所に続いて
「上海出動 宇都宮を去らんとする記念に。兄さんと塚本さん」とあります。
この年の始めに上海で勃発した戦闘が拡大したため(いわゆる第1次上海事変)、
宇都宮の連隊からも兵を派遣することとなったようです。
時期的に同じ頃と思われる写真が数枚ありました。
これには「週番のひととき、兄と浅河さん」と書いてあります。
このように碁を打って寛いでいる横顔も素敵な兄さんです。
また、鬼怒川で馬に乗っている写真もありました。
この写真では、母はふざけて
「馬に跨がる印度人はうちの兄さん」とコメントしていますが、
当時のフィルムの性状から顔が黒く写っているのを、そう表現しただけで、
本当は「こんな大きな川も馬で渡ってしまうなんて、さすが兄さん」
と感心していたのでしょう。
(インドの方、不適切な表現ごめんなさい)
実際、この兄さんは軍人としての地位が高かっただけでなく、
ハンサムで背も高く、馬に跨がって連隊へ向かう時など、
若い娘の評判になったそうです。
(
続く)
セコメントをする