この写真は昭和50年の鬼子母神堂です。
屋根が瓦葺きで、二段に分かれています。
そして勾配の途中に千鳥破風、軒先に唐破風が設けられています。
現在は下の写真のように銅板葺きで一枚の大屋根です。
こんなに印象が違うのに、昔の姿は忘れていました。
この違いを思い出すきっかけは、下の展示会でした。
豊島区民センターの2階で、来年の1/31(金)まで開かれている『雑司が谷の昔と今』です。
そこに、昭和7年発行の参拝記念絵葉書の写真が展示されており、
「昭和51〓54年の解体復元大修理で瓦から銅板に葺き替えられた」ことが説明されていました。
「ということは、私が写真を撮ったのは確か49年から50年頃だから、ぎりぎり瓦が残っている時代のはずだ」と思い家に帰って確認したところ、最初の写真が見つかったわけです。
案外、忘れているものですね。忘れっぽい人間に比べると、写真は正直で正確です。
少し離れたところから撮影した写真もありました。
何かこの頃の屋根の方が威厳があるような気がします。
とは言っても、このお堂は300年前に造られた時は萱葺きだったそうです。
その後、板葺きを経て瓦になると、その重みで不同沈下が起きたのでしょう、瓦の破損や雨漏りなど生じ、やむを得ず銅板葺きにして建物の軽量化を図ったそうです。
万一、地震で倒壊でもしたら大変ですものね。納得。
展示会でもう一つ気付かされたことがあります。
上の写真、参道の両側で睨みを利かせる仁王像に、白いお札が沢山貼られています。
展示されていた別の戦前の写真にも同様の仁王像が写っていました。
「往時は体の治したい部分にお札を貼って祈願したそうです」との解説がありました。
ところが、今の様子はこうです。
禺画像]白いお札は無く、きれいと言えばきれいな仁王像です。
私が目白を離れていた間に、この民間信仰は廃れてしまったようです。
でも仁王様は、お札を貼られた感覚をまだ覚えているのではないでしょうか?
今度参詣したときに貼ってこようと思います。
どこに貼る?
ふところか。
(
続く)
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