池袋、風俗と芸術の街
2012-11-07


1970年代、池袋駅西口から目白の私のアパートまでの帰り道に広大な空地がありました。
今の「東京芸術劇場」の敷地です。
第二次大戦前後の地図を調べてみると、豊島師範学校および鉄道局教習所のそれぞれの敷地の一部を引き継いでいるようです。
そこは打ち捨てられた公園という感じだったでしょうか、空地の中央の公衆トイレ脇の茂みには、ジプシーのような老婆が潜んでいました。私がその近くを通りながら視線を向けると、何故か逆に恐い眼で睨みつけられたりしました。
東側(山手線側)の街区には今で言う風俗店などがあり、これから出勤するお姉さんたちとすれ違う事もありました。お姉さんたちが2・3人連れ立って、場違いなほど健康的に談笑しながら出勤していたのが印象的でした。
学生たちの間では新宿が「ジュク」、池袋は「ブクロ」と呼ばれていた時代です。
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上の写真は1974年2月のものです。
写真やや右手にボーリングのピンが立っている屋上看板を持つビルがあります。結婚式場・宴会場・ボーリング場などを有した「東方会館」です。
左手には「ホテルやすだ」という連込み旅館が見えます。その裏側には「千代元」という旅館もありました。更に左手には「養老の瀧」の看板が確認できます。
その手前の公園内には屋外ローラースケート場がありました。

東方会館と言えば、屋上に旋回式サーチライトを持っていて、その光線は上り屋敷の私のアパートまで届いていました。夜間、周期的に台所の窓が照らされるのです。今だったら許されない「光害」ですね。
また、会館が夕方からずっと流していた音楽もアパートまで聞こえていました。サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」でした。あまりにしょっちゅう聞かされていたので、今でも私の頭の中には、”There's a black magic woman. Yeah,there's a black magic woman." のフレーズが時々浮かんでしまうくらいです。

同じ場所から2012年の風景を撮影しました。
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中央に「東京芸術劇場」が写っています。
その右肩奥に聳えているのが、東方会館跡地に建設されたマンション「ウエストパークタワー池袋」です。総戸数約400戸、地上32階建ての高級賃貸マンションです。
東方会館閉鎖から三年後の2006年に竣工しました。

昔の写真で左手に写っていた風俗建物群の現在の様子は、新たな商業ビルの陰に隠れてしまって見えませんので、近くに行って撮影しました。
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「旅館千代元」は「HOTEL DOMANI」に
「ホテルやすだ」は「HOTEL AILU」に名称変更していました。

でも、養老の瀧は同じ名前で営業しています。
連込み旅館はラブホテルに進化しても、居酒屋は居酒屋のままで良いみたいです。
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芸術劇場の敷地内外ともすっかり様変わりしてしまいましたが、実はこんな風景が継承されているのです。先ほどのラブホテル側に、劇場前広場と道路とのレベル差を解消するためのスロープがあります。
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全く同じ位置に昔は階段がありました。私の足の裏も覚えている懐かしい風景です。
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[目白の風景 今昔]

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