上り屋敷の風景、今と昔(1)

コメント(全8件)
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タフちゃん ― 2014-12-12 15:00
>Ken Kimparaさん
驚きました!
まず間違いなく、私達は「彩雲荘」の御隣同士かと。
メアドの方にもメールしますので、そちらもご覧下さい。
ジェイさん」 ― 2021-02-13 18:26
2012年の御ブログなのでこのコメントをご覧になっているのか不安ですが、ちょっとお尋ねいたします。上り坂公園の北側は現在は巨大なマンションが建っていますが、そこに狐塚があったと誰かのブログに書いてありました。昨年その辺を散策しましたが、今は上り坂公園の隅に小さなほこらが建っていてそこに移されたのかもしれません。お尋ねというのは、@大正10年頃にその狐塚近辺に「赤い鳥」画家の深澤省三夫妻が居住していたそうですが、場所をご存知でしょうか?A大正15年6月発行の住宅地図の一番南東の椎名町通り(現目白通り)に近いところに「赤い鳥社鈴木三重吉」とありますが、これは現在の目白の森公園のはす向かいにあると考えていいのでしょうか?よろしくお願いします。
タフちゃん ― 2021-02-14 19:50
ジェイさん、今日は!
私は「赤い鳥」関連の知識を持ち合わせているわけではないのですがわかる範囲で。
@銀貨社の編集部員Sさんという方のブログにて「大正11年頃、目白駅前の川村学園の地に深沢省三氏の居宅があった」ことを知りました。
A鈴木三重吉氏は、目白のこのあたりで度々転居されていたようですが、大正11年から13年にかけて現目白庭園の南東に住んでいたようです。そこは、現在、ギャラリー「赤い鳥」となっており、「赤い鳥社・鈴木三重吉旧宅跡」の看板があります。
その看板によれば、この居宅の後、長崎村字荒井(現目白四丁目八番ついで五番)に移った、と書いてあります。ここがまさにお尋ねの、目白の森公園はす向かいですね。
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