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40年前の富士五湖で遊泳2017年10月22日

先日、富士五湖に遊びに行きました。
その時の写真を三枚。
本栖湖

精進湖

西湖
皆、似たような景色ですから、後で見ると、
湖名の看板が写っていなければどの湖か分からないですね。
でも、実はこれらの写真はGPSデジカメの"Tough"で撮ったので、
各写真に位置情報が埋め込まれ、
また、同時にトラックログ(カメラの足跡)も別途記録されています。
ということは、たとえ何十年後に見たとしても、上から順番に
・本栖湖
・精進湖
・西湖
であることが判別できてしまいます。
それは、LightroomのMAPモードでトラックログを読み込むと、
次のように各写真の撮影順と撮影場所が表示されるからです。
広域トラックログ
この地図の西湖部分を次のように拡大すれば、さらに詳細な情報も得られます。
西湖トラックログ
これによれば、3枚目の西湖の写真は、
湖の南東「ホテルレストラン マ・メゾン」前の湖畔で撮影したことが分かります。

ところが、何とも判別し難いのは昔の写真。
ちょうど今から40年前の1977年の夏、
富士五湖のどこかで泳いでいる写真がありました。
遊泳中
これってどこかわかります?
人物以外は、水しか写っていないのだから、分かるはずありませんよね。
当時は行動記録をメモする習慣もなく、
この泳いでいる場所を突き止めるにしても、かすかな記憶だけが手掛かりです。
その僅かに覚えている事実は、
・精進湖ちかく、樹海の中に埋もれたような「民宿村」に泊まった。
・不便な路線バスを乗り継いで移動していた。
これだけです。いわゆる超貧乏旅行の記憶ですね。

ともかく、前後の写真などから撮影場所を類推してみることにしました。
その日に撮影した写真のうち5枚を順番に並べてみると、こうなります。
樹海の民宿村

樹海近くでバス待ち

西湖で遊泳

昔の観岳園キャンプ場

昔の観岳園キャンプ場のバス停

何となく、この日の行動が読めてきました。
この昔の写真5枚を解説すると、こんなことかな。
 1.まず、民宿を出発する時に、樹海の中でパチリ。
 2.次に、バスの到着を待ちながら、ガイドブックで予習。
 3.どこかの湖で遊泳(遠くに山並みが霞んでいます)
 4.水着から普段着に着替えて一枚。
 5.次の目的地に向かってバス待ち中。
この最後の写真の場所はネットで確認できました。
現在の観岳園看板
「湖北ビューライン」を走る路線バスのバス停近くに、
同じ「観岳園キャンプ場」の看板が残っていました。

1977年当時、路線バスを乗り継ぐ不便さを考えると、
複数の湖をはしごして、泳いだり観光したりの選択肢はないでしょう。
ということから、遊泳写真の撮影場所は、
西湖の観岳園キャンプ場近くと決定しても良さそうです。
先日の写真3枚目の現在の西湖を、拡大してその場所を示しましょう。
西湖のマ・メゾン前
この対岸の白矢印のあたりが、40年前に泳いだと思われる場所です、
と一応、自分なりに納得して探求おしまい。

ちなみに雑学を二つばかり。
・その一、
昔、宿泊したのは精進湖の南、
139号線から樹海に分け入った所に存在する「民宿村」でした。
次の空撮の中央、長方形に切り取られたエリアですね。
民宿村
これは湖岸にあった村が、水害を避けるために移住したもので、
成立したのは1972年頃ということです。
ということは、私が訪れた1977年は、
この民宿村ができてからまだ間もない頃のことになります。
・その二、
2枚目の精進湖の写真について、
晴天の日であれば、この場所からは富士山が見えるはずです。
その富士の手前には、富士より一回り小さい大室山が位置するため、
この景色は「子抱き富士」とも呼ばれるそうです。
この日は、上空が靄っていて大室山の頂部と富士山は写らなかったので、
富士五湖観光連盟のイラストを借用すると、こういう景色です。
子抱き富士イラスト
GPSデータではなく、こういう景色から場所確認ができると楽しいでしょうね。
昔の遊泳の写真で、遠方に山並みが写っている写真もありますが、
その山並みの形も、その時の記憶も、遠くに霞んでいるのが残念です。

続く